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山梨日日新聞「視座」コラム 連載 長田 忠孝

第8回 肺がん検診に救われて

旧中富町飯富の裏山にあたる烏森(からすもり)の中腹にある上伊沼の若宮さんが胸部のレントゲン検診で異常を指摘されたのは、今から二十四年前の七十歳の時だった。夫と死別して、もう十年以上たつ一人での暮らしも、いつもと変わりなかったし、それらしい症状は全くなかったが、精密検査の診断は、右の肺にできた早期の腺がん(せんがん)だった。
まだ十分治癒するとの話に、東京に住む子供たちとも相談して、県立中央病院で手術を受けることにした。すこし大変だった手術前の検査はあったが、手術もその後の経過も順調で、短期間で退院することができた。
その後は以前と同じように、飯富の宿(しゅく)が見晴らせる自宅で農作業をしながら、飯富病院に月一回、通院をしている。今年で九十四歳になった。
この間、一番つらかったのは自分の手術から十年ほどして、頼りにしていた東京に住む長男が、自分と同じ肺がんになり、五十四歳で亡くなったことだった。
「同じように検診で発見されたのに、どうして若いもんが先に」との思いが今でもあるという。
しかし、確かに一つの家族の中でこのようなことが起きることは珍しいとしても、当時にしても今にしても、肺がんは極めて治癒の難しい悪性腫瘍(しゅよう)であり、早期発見の最大の手段である検診で見つけても治癒可能なものは、多くて六割程度なのである。
二十六年前、北海道の旭川から飯富病院に就職するにあたり、病院の業務のほかに、当時から死亡率が徐々に上昇してきた、肺がんの予防をライフワークとしたいと考えていた。肺がんの原因対策である禁煙の話をして歩くことと、肺がん検診の実施である。
さいわいよき理解者を得て、山梨県内で初めて、田富町と中富町と飯富病院との間に肺がん検診実施の契約をすることができた。
胸部レントゲンを二人の医師が過去に撮影された写真を参考にして、二重に読むレントゲン検診と、喫煙者の痰(たん)の中のがん細胞の有無を調べる喀痰(かくたん)検診を含む、現在国と日本肺癌学会が推奨するガイドラインにも合致する、当時とすれば画期的な内容だった。両町の保健、福祉担当者の理解のたまものだと、今でも感謝している。
この検診システムで一番に発見され、治癒したのが若宮さんだったのだ。
その後、肺がん検診は次第に近隣の市町村に普及し、飯富病院でも多くの患者さんの診断と治療に参加させていただいた。
若宮さんの家の居間のこたつに入り、今度同居することになった二番目の息子さんのつくった煮物をいただいている。
「二十四年間生かしてもらったから、こんだあ、楽に向こうへやってくれちゃあ」
「息子さんも帰ってきたから、家でも病院でも、どこでもいいよ。でも、おれも六十三になったから、どっちが先かわからんだよ」などと話している。
冬の日の午後である。こずえに残された大ぶりの柚子が見事な色に輝いている。枯葉をわずかにつけた林の向こうに、ゆったりと富士川が左手から流れてくる。そして、飯富の町並みに沿うようにゆるやかに曲がりながら早川と合流し、県境の山のなかに消えてゆく。
肺がん検診を続けてきて本当によかったと思っている。若宮さんのようなたくさんの患者さんや多くの人たちと出会うことが出来た。そして、この検診で最も救われたのは実は私自身ではなかったのだろうかと思ったりしている。

長田 忠孝

1944年甲府市生まれ

甲府一高 北海道大医学部卒

1982年より飯富病院勤務

現在院長 外科医師

当記事は2007年12月、山梨日日新聞の「視座」コラムに掲載したものです。

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