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医師会からのお知らせ

第30回健康と医療作文コンクール

佳作

「百一歳の健康の秘訣」
高野 慶次朗
駿台甲府中学校2年
僕の曽祖母は、今年で百一歳の誕生日を迎えました。今でも孫やひ孫たちの名前と顔を、しっかりと忘れず覚えています。先日、僕と一緒に百人一首をしたり、僕の空手の組手の試合を動画で見ながら、大きな声で応援もしてくれました。
僕の高齢の曽祖母のように、日本には現在、百歳を超える高齢者が全国で推計8万人以上います。老人福祉法が制定された昭和38年時点では、わずか153人しかいなかったため、この数値は明らかに年々増加傾向にあることがわかります。
このような百寿者の人数の急激な増加には、医療が、年を重ねるごとに高度化していることが大きく関わっていると思います。しかし、いくら医療の力で病気を完治、あるいは寛解したとしても、病気そのものや手術、入院などの闘病生活が、高齢者に与える精神的、肉体的ダメージは相当大きなものです。したがって、それ以前に、普段の生活の中に、長生きの鍵が潜んでいると僕は考えます。
僕の身近な体験では、曽祖母の普段の生活は、感心できるものばかりです。一日のほとんどの時間をたった一人で生活し、様々な趣味を持ち、積極的に行動しています。自宅で手を動かして裁縫をしたり、ミシンを使って人形を作ったりといった、手芸がとても得意です。曽祖母の家に遊びに行くと、いつも楽しそうに手を動かしながら、手芸をしていることが多いです。多くの人形ができあがると、いろいろな人にそれらをプレゼントしています。百一歳の曽祖母を祝う祝賀会では、僕たちへの御礼に手作りの可愛いフクロウのブローチをいくつも作って、ひ孫達一人一人に手渡してくれました。僕達が喜んでいるのを見て、曽祖母はとてもうれしそうでした。僕は、まさに、ここに長生きの秘訣の一つがあると思います。「自ら考え、何かを生み出し、他の人にプレゼントし、喜んでもらう」という一連の好循環が、曽祖母に喜びを与え、明日を力強く生きようとするバイタリティを生み出しています。人のプラスの感情にたくさん触れ、自分の気持ちも晴れやかになります。したがって、長く健康でいるためには、このような内面の心持ちが大切であると僕は思うのです。
内面の晴れやかさという点では、曽祖母は、四季折々の美しく咲く花々が大好きです。手芸が一段落ついては庭に出て、咲き誇る花々をながめて、癒されています。季節にふさわしい花を自分で植えて、水やり以外の世話は自分でこなし、成長を見守りながら自然を愛でています。さらには、百一歳になっても学ぼうとする意欲が途絶えません。新聞を端から読んで、常に社会情勢に目を向けています。テレビを観る時、自分で興味深い番組に素早くチャンネルを変えるなど、娯楽番組からも楽しみを得ています。
これらの生活習慣は、とても百一歳の人が行うことができる領域内に留まっているとは考えられません。とはいえ、その感心する行動の全てを曽祖母一人で行っているわけではありません。もちろん、他の人の手助けが必要な場面も、決して少なくはないでしょう。曽祖母の家には毎日、祖母が訪れています。祖母もまた高齢者とは思えないほどの活気にみなぎり、個性あふれる面白い人です。祖母が曽祖母の世話をしている時は、とても「介護」をしているとは思えないほど、明るく二人仲良く大きな声で話をしています。祖母は僕にこう言いました。「おばあちゃんに最大限の援助をして、彼女らしく、ありのままに楽しんで生活してもらいたい。百一歳だからこういう事はできない、させないではなく、できるようにお膳立をするの。そうすれば、できたという達成感や、さらなる好奇心が湧いてくるのよ。」と。好奇心が湧くということは、現状から、一歩ずつ前へ新しい事へ挑戦したいと強く思うことだと思います。その意志が、彼女を一日一日元気よく生活していく柱となっているのです。
いろいろな人達と関わりながら好奇心旺盛で、自分の趣味をたくさん保持し、何よりいつも「笑顔」を絶やさないこと。またこれからだんだんとできないことがでてくる中で、少しだけ援助してくれる祖母がいること。これらが、曽祖母の百一歳の長寿の秘訣であると思うと共に、今なお元気で一人暮らしをしている理由だと思います。「病は気から」、僕も一日一日を大切に、晴れやかに過ごし、曽祖母のように、長く健康でいたいと感じました。