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医師会からのお知らせ

第29回健康と医療作文コンクール

山梨日日新聞社賞

「初めての出産、我が子の手術」
吉川 志穂
中央市
妊娠15週、私は腹痛のためいつもの産科を受診した。腹痛の原因は子宮筋腫による炎症だったが、赤ちゃんの臍の緒にむくみがあるらしく大きな病院での精密検査を勧められた。転院先で検査したところ臍帯囊胞というもので、もしかしたら出産後赤ちゃんに手術が必要になるかもしれないと言われていた。2020年7月22日妊娠36週、帝王切開で男の子を出産。同時に子宮筋腫を取り除く手術もした。おぎゃーと元気な産声をあげて一安心したのも束の間、息子はすぐに検査のため別室へ連れて行かれた。初めての出産を終え半ば放心状態で病室に戻ると私のもとに小児外科の先生がやってきて「息子さん検査の結果、産科の先生が言うように臍の緒と尿管が繋がっていました。感染症を起こす危険があるため明日全身麻酔で手術します。」と告げられた。稀な疾患と聞き、まさか我が子がと楽観的に考えていた自分を叱りたい。そして、そんな自分とは反対に毎回の診察に30分もの時間を割き、見事10万人に1人と言われる我が子の疾患を見つけ、無事出産まで導いてくれた産科の先生には本当に感謝しかない。改めて妊婦健診の大切さを痛感する。
翌日、息子の手術の日。まだ起き上がることのできない私は一人、ベッドの上で息子の無事を祈った。昨晩は術後の痛みのせいで殆ど眠れなかった。大人の自分でさえこんなにも辛いのに、産まれたばかりの小さな息子は果たして手術に耐えられるのだろうか。次から次へと湧いてくる不安に大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせる。そして、ただ時が経つのを待つしかなかった。数時間後、ようやく夫から無事終わったと連絡が入ると安堵の気持ちと共に私は眠りについた。
ベッドから起き上がれるようになったのはそれから2日後のことだった。出産時の出血が酷く貧血で身体が思うように動かない。息子はどうなっているのか。看護師さんに車椅子で息子のもとへ連れて行ってもらった。NICUにいた息子はたくさんの管に繋がれていた。産まれた直後は普通の赤ちゃんと変わらず見えたのに、今は目を閉じて動かない。繋がれた機械の心拍音に息子が生きていると教えられる。そんな弱った息子の姿を見て胸が締め付けられた。
それから何日か息子に会いに行くも、息子は寝ているばかりだった。早く元気な姿が見たいのに何もしてやれない自分がもどかしい。看護師さんがやって来てこれからミルクをあげますね、とミルクの入った注射器のようなものにチューブを通し息子の口へ運んだ。飲んだ飲んだ!歓喜した次の瞬間。チューブからミルクが逆流してきた。どうやら前の時間に飲ませたミルクが消化できずチューブに残っていたらしい。暗い感情が一気に押しよせた。本当に息子は元気な赤ちゃんに戻れるのだろうか、不安で押し潰されそうになる。おそらく今にも泣き出しそうな顔をしていたに違いない。すると別の看護師さんが話しかけてきた。「赤ちゃん喜んでいますね。」私はきょとん、とした顔をしていると「赤ちゃんは匂いや温もりでお母さんが分かるんです。今、お母さんがそばにいるから喜んでますよ。」と言った。息子を見ると手をぴくぴく動かして本当に喜んでいるように見えた。その言葉にはっとした。私は母になったのだ。抱っこすらできず、何もしてやれないと思っていた自分にできることがあった。それは他の誰も代わりのできない母親としての愛情を息子に注いでやることだ。息子の手をそっと握る。悲しい顔ばかりしていてはだめだ、息子といる時は笑顔でいようと決めた。
初めはたくさんの管に繋がれ寝てばかりいた息子も日を追うごとに一本、また一本と管が減っていき、起きている時間も長くなった。全ての管が外れる頃には私も退院し、息子もGCUに移れることになった。
そして出産から3週間、ついに息子の退院の日がやって来た。まだかまだかと部屋に飾ってあった白いレース服の袖を息子の小さな腕に通す。3週間本当によく頑張った息子。そしてそんな息子の稀な疾患を見つけてくれた産科の先生、入院中心身共に支えてくれた助産師さん、生後間もない息子を手術してくれた小児外科の先生や麻酔科の先生、私に大事なことを教えてくれた看護師さん始め24時間張り巡らされた緊張の中で息子を看護してくれたNICUやGCUの方々。みなさんが一心に息子の命のたすきを繋げてくれたからこそ今日を迎えられた。明日から息子とのどんな素晴らしい日々が待っているのだろう。そんなかけがえのない未来を切り開いてくれた医療従事者の方々には一生恩に着る思いだ。
私はレース服に身を包んだ息子をそっと抱きかかえ病院を後にする。2,992gの小さな身体に大きな命の重みを感じながら。