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医師会からのお知らせ

第29回健康と医療作文コンクール

山梨県医師会長賞

「支えてくれた人たちへ」
葛西 萌々花
池田小学校6年
あの日の病室の音は今でも耳に残っています。私の曾祖母は元気でとても健康な人でした。毎日のようにバイクに乗って畑に出かけていたそうです。夏になると一緒に花火大会へ行ったり、野菜を収穫したりしました。家は遠くてあまりひんぱんには会えないけど、電話で話したりしていたので、寂しいと感じたことはありませんでした。
曾祖母は私をいつも「ももちゃん、ももちゃん」と声をかけ、可愛がってくれていました。私はそんな曾祖母のことが本当に大好きでした。でも私の学年が上がり、習い事が増え、会う機会が少なくなってきて久しぶりに会いたいな、と思っていたときに母に電話がかかってきました。話している母はどこか焦った様子で話していて「どうしたの?」と聞くと、私が久しぶりに会いたいなと思っていた曾祖母が事故にあい、ドクターヘリで緊急搬送された、と聞かされました。とても心配で母にたくさん質問をしました。曾祖母が運ばれたのは私の家からも近い大きな病院でした。ドキドキしてすぐに病院へ向かいました。
病院に行くとドクターヘリに乗っていたお医者さんから説明を聞きました。難しくて分からないことばかりだったけど、しっかり丁寧に説明してくれていたので、なんだか安心しました。
病院で目にした曾祖母はいつもと違ってたくさんのチューブがつながっていました。顔色も悪く酸素を入れる管が入っていたので話もできない状態でした。私にいつも見せてくれる笑顔もなく、病室はたくさんの機械の電子音だけでした。
その翌日からは集中治療室へ小学生の私は入室できなかったけど、それでも心配で近くにいたくて、毎日学校が終わると病院へ行きました。集中治療室の外のいすに座って中に入った母を待っていると、看護師さんが声をかけてはげましてくれました。それから出てきた母からその日の様子を聞くことが日課になりました。母が担当の看護師さんに確認してくれて会えない代わりに私と姉の写真を飾ってもいいことになりました。私は一番明るくて元気な写真を選んで飾ってもらいました。近くで話しかけたり、手をにぎったりできない私の代わりに元気をわけてあげてほしい、と思ったからです。数日後、目も開いて、少し元気になったということで酸素の管が外れました。先生や看護師さんから順調なら手術をしたら集中治療室を出られるかもしれないと聞き、嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
次の日も曾祖母の病院に行こうと早く寝た私を慌てて母が起こしに来ました。夜中の3時頃だったと思います。すぐに着替えさせられ、姉とよくわからないまま車に乗って病院に向かいました。車の中で母から「ひぃばぁばが急に具合が悪くなってしまった、もしかしたら最期になるかもしれない。」と言われ、一気に目が覚めました。到着するととにかく走って向かいました。母が先生に確認して私も姉も集中治療室に入ってもいいことになりました。外れたと聞いていた管も他のチュープや機械もたくさんついて目をつむったままの曾祖母がいました。ベッドに近づき手をにぎって「ひぃばぁば!ひぃばぁば!」と呼びかけました。手もさすったりにぎったりしてみましたが、返事も反応もありませんでした。先生が「もしかしたらひいおばあちゃんの最期かもしれないから声をかけてあげて」と言ったので反応がなくても手をにぎって声をかけました。
少し落ち着いた頃、看護師さんが来て、待合室に案内してくれました。その頃には何人も親せきが集まっていました。不安でいっぱいのなか待合室で眠りました。夜になるといっそうよくない状態になり、母たちに先生からも説明がありました。その後みんなで曾祖母のベッドに行きました。ピッピッという電子音のなか曾祖母に声をかけましたが、もう目をあけてくれることはありませんでした。その夜の担当の先生は曾祖母をドクターヘリで連れて来てくれた先生でした。いつもはげましてくれていた看護師さんと先生が確認して、曾祖母は天国に行きました。みんな名前を呼んで泣いていました。曾祖母が突然いなくなって本当に悲しくて、さみしくて、つらかったです。でも病院に行くと声をかけ、はげましてくれた看護師さん、私にもわかるように丁寧に説明してくれた先生、その他のスタッフの方との関わりを通じて、あらためて医療関係者への感謝と大切さを感じました。不安な気持ちの私に優しく声をかけ温かく接してくれたり、最後まであきらめないで治療してくれたり、寄りそってくれているんだなと感じ、私はとても嬉しかったです。私も家族もその対応にとても感謝し、心からありがとう、と思っています。治療の他にも私たちの気持ちも支えてくれていました。とても大変なお仕事だと思いますがたくさんの人を助けてあげてほしいです。私たちを支えてくれた方々を応援していけたらと思います。