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医師会からのお知らせ

第26回健康と医療作文コンクール

山梨放送賞

「感謝の心」
佐竹 花嶺
農林高校2年
私は、小学校3年生の時に、身体が不自由になる大きな病気をした。それまで大きな病気をしたことがなく、手芸や運動が大好きだった私は、とてもショックを受けた。
発病から半年間、私は治療とリハビリを頑張った。手術は県外でしか受けることができず、毎日家族と会えなくなってしまった。まだ幼かった私は、家族と過ごせないこと、治療がつらいことで毎日泣いていた。リハビリも今まで通りに体を動かせないもどかしさと悔しさで心が折れそうになったほどだ。それでも今まで通りの自分に戻りたい、という思いがあった。そんな私を、家族を支えてくれたのは、リハビリのセラピスト、医師、院内学級の先生だった。
セラピストの方々は、私が少しでも楽しくリハビリを行えるようにと、メニューを考えて下さった。大人の患者さんとは違い、遊び感覚で行えるものに変更して下さった。例えば、散歩、簡単なビーズを使ったアクセサリー作り、園芸療法などだ。私は、もう動かない、と思っていた体を回復させてくれたセラピストの方々に感謝の気持ちでいっぱいだ。
医師の方々は、私が少しでも安心して入院生活が送れるように考えて下さった。また、手術も成功率が低いながらに慎重に行って下さった。私を事前によく理解して下さり、安心することができた。
院内学級の先生は、私の興味を引き立てて授業を行い、退院前には、復学に向けて相談をして下さった。
私の入院生活は、治療やリハビリなどのつらいことが多くあった。そんな中でも私の心の安定、家族をサポートして下さった医療関係の方々には、感謝の気持ちでいっぱいだ。半年にも及んだ入院生活。当時はつらいだけの半年間だったが、今思えば、あのとき出会った方々とは今も繋がっており、人生最大の「出会いの期間」だったのかもしれない。
入院生活での治療はつらかったが、そんな中でも応援し続けてくれた看護師さん。「ごめんね。」といいながら点滴をしてくれた。
家族をはじめ、入院期間中に関わってくれた人へ、いつかお礼がしたい。あの時、「死」と隣り合わせで、「生」を選んだ私は、多くの医療関係者の方の期待を背負って、これからの人生を生きていきたい。
私の将来の夢は、農家さんになることだ。当時、自分の命、友達の命の大切さを学んだ私だからこそ、作物一つ一つの命と向き合っていきたい。私が目指す無農薬無化学栽培をした野菜で、多くの人々の笑顔を咲かせたい。そして、私の入院生活を支えてきて下さった医療関係者の方々にも私の作った作物で恩返しがしたい。農家さんになりたい理由はもう一つある。私のように体が不自由になってしまった人は、他にもたくさんいるだろう。その人達は、きっと未来の事を重く考えてしまっているだろう。そんな人達の希望になりたい。私を見て、「体が不自由でも、こんな生き方があるんだ。私も頑張って夢を叶えよう。」と思ってくれる人が現れるといい。私が頑張ることで、同じ病に押し潰されそうな人を救ってあげたい。人のために自分が全力になれる人間になりたい。
私は、倒れてしばらくの間、意識がなかった。その間、「天国」という場所を見てきた。目の前には三途の川が見え、川の奥には色とりどりの花畑。当たり前だが、それまで行ったことのない世界に不審な思いを抱きながらも足を踏み出そうとした時、その世界は消えてしまった。今思えば、この世にいることができたのは、あの「不審」と思った一瞬の直感が勝ったからなのではないだろうか、と考えている。そして、家族の必死な叫びが届いたからなのではないか、と考える。
退院して数年が経った今も、私は周囲の人々に支えられながら、夢に向かって努力している。
当時、出会った方との縁は今も切れることなく続いている。
これから、どんなにつらいことがあっても、あの時誓った「生きる」という志を忘れずに歩んでいきたい。そして、いつも気にかけて下さっている医療関係者の方には、感謝の気持ちを持っていたい。