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医師会からのお知らせ

第25回健康と医療作文コンクール

山梨県医師会長賞

「今生きている素晴らしさ」
黒田 友大
甲府南高校1年
7年前の夏休み、私は小児ガンの一種でもある、骨肉腫を発病した。右足の膝上辺りが痛くなり始めた頃は、両親も成長痛かと安易に考えていた。だが次第に発赤・腫脤・痛みが強くなってきたのである。初診でありながら、次々と検査を指示され、緊急の検査手術まで受けることになった。こうなってくると、病気知らずで育ってきた小学3年生の幼い私でも、徒ならぬ事が自分の身に起きていると感じ取れたのであった。
実際に医師から検査結果を聞くと、それは予想していた以上に深刻な状態で、長期の入院が必要であるというものだった。私は泣いた。父も母も。
見舞いに訪れる人もいない、静かで薄暗い廊下の先に小児科病棟があった。殆どの子供達が、点滴のチューブに繋がれ、腕には採血後と思われる絆創膏が貼ってあった。髪の毛のない男の子や、バンダナを頭に巻いた女の子も何人かいた。柵が取り付けられているベッドもたくさんあった。今までに見たことのない閉鎖的な空間に、恐怖と不安を覚え、思わず逃げ出したくなった。そして、「家に帰りたい。一緒に連れて帰って。」と駄々を泣きながら母にぶつけ、余計に母の心を傷つけてしまったのである。
長期に渡り、点滴による化学療法を進めていく為に、鎖骨下にチューブを埋め込む手術(IVH)を受け、本格的な治療が始まった。副作用による吐き気やだるさ、脱毛や頭痛があることは医師から聞いてはいたが、想像以上にしんどかったことを覚えている。蛍光色の様なオレンジ色の液体の薬剤がチューブを伝って自分の中に入っていくのを見ると、何とも言えない複雑な気分になった。投薬が開始されると、面会に来てくれる両親とも会話することが出来ず、背中や腹部をひたすらさすってもらうだけの日も度々あった。
点滴による治療が一段落したところで、およそ九時間に及ぶ大手術を受けた。入院当初からの目標としていたこの手術は、右大腿骨の患部の骨を切除し、人工関節に置換するものである。
術後の痛みが徐々に軽減されるとリハビリが始まった。心身共にストレスが溜まるばかりであったが、早く自力で歩きたいという気持ちを強く持ち、毎日頑張った。それと同時に、点滴による化学療法が再開された。しかし、今回は退院という大きな明るい目標があったので、これまでより前向きに取り組めたのであった。
入院中、何人かの命の終わりを目にした。心臓移植を長い間心待ちにし、渡米し亡くなった命。私と同じ病気で亡くなった命。いつも窓越しに笑顔を振りまいていた命。無口ではあったが、優しい瞳をしていた命。それぞれが生きたいという強い気持ちと勇気を最期まで持ち続け、病と闘った。病気と闘っている子供達は、とても綺麗な心の持ち主であるのに、何も悪いことなどしていないのに、家族と離れ、この閉鎖感漂う空間で毎日、必死に生きているのだ。
2年近くに及ぶ入院生活は、本当に貴重な時間であった。そう、神様からのプレゼント。こんな風に言えるのは今生きているからこそではあるが、抱え切れない程の大きな贈り物を頂いたことに気づかされる。
一つ目は、何事にも楽しい目標を立て、プラス思考で捉えること。
これは治療中、吐き気に苦しんでいた時、主治医の先生が話してくれたこと。今日の目標、明日の目標という様に、小さくても一つ一つをクリアしていくことが大事であると。
二つ目は、縁あって出会うべくして出会った人達に感謝すること。
私がこうして生きていられるのも、たくさんの方々のお陰であると思っている。入院中、小学校の同級生全員からの手紙はとても大きな励みになった。ベッド周りの掃除や車イスを押してくれたり、いつでも褒めてくれる助手の皆さん。夜中に何度呼んでも、嫌な顔一つせず、急いで駆けつけてくれ、いつでも寄り添ってくれた看護師の皆さん。私と目線を合わせるようにベッドに腰を下ろし、温かく大きな手で背中をさすってくれたチームの先生方。
そして何より、私を支えてくれた家族の存在の大きさに気付くことが出来た。
歩くこと、休むこと。笑うこと、涙すること。極々当たり前にやってのけているが、生きているから出来るのであって、この上なく幸せである事を多くの人に気付いて欲しい。自分の命は、自分だけのものでなく、多勢の人の心が一つになって生き続けることが出来るのであると私は思う。
お互いの違いを認め、受け入れ、そして一人ひとりが命の重みを意識することによって、温かく平和な毎日が送れるのではないだろうか。