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医師会からのお知らせ

第24回ふれあい医療作文コンクール

佳作

「辛くてもなんだかあたたかなあの日」
孕石 おとは
山梨学院小学校5年
小学校2年生の冬。私には目が覚めたとき、どこにいるのか、自分が何をしているのか全く理解ができなかった、忘れられない日がある。その時の様子は今でもなんとなく覚えている。白衣を着た見知らぬ男の人が私の顔を覗き込んで
「目が覚めたね。」
「よかった。」
「ここは病院だよ。」
「わかる?」
と優しい口調で話しかけてくれたことを。私はその日の夜寝付いてすぐに痙攣をおこし、救急車で運ばれていた。後から母に聞いた話だが、救急隊員の方が、痙攣をおこし、吐いている私を抱きかかえて救急車に乗せてくれたそうだ。救急車で病院についてからもしばらく意識がなく、家族は心配をしていたと聞いた。その時も
「大丈夫ですよ。」
と母に優しく声をかけてくれたみたいだ。白衣を着た見知らぬ男の人は小児科のお医者さんだった。目が覚めた私がぐったりして、思うように動けない時も、お医者さんは、
「お名前言える?」
「何年生?」
「よかった、わかるね。」
と私が早く意識を戻すように、寂しくないように、忙しく動きながらもずっと声をかけ続けてくれた。次の日からは脳波の先生にバトンタッチした。この先生が、私の主治医の先生になった。女の先生で、とても優しい。
「大丈夫。」
「大丈夫だよ。」
といつも私を安心させてくれた。
「学校休んでつまらない。」
と寂しくつぶやいた私に
「8階に図書室があるからママに探してもらう?」
と教えてくれた。早く学校に行けるように、検査を急いでくれた。1週間ほどで退院になった時も、
「よくなるから、安心して学校に行ってね。」
と笑顔で送り出してくれた。その後、私は2度目の痙攣でまた病院に運ばれた。原因は薬の飲み忘れだった。毎日の朝夜の薬が面倒になって、飲んだふりをして薬を隠していた。その時、主治医の優しい先生は、初めて私に厳しい口調で、薬の大切さや、なぜ飲まなければいけないのかを一度教えてくれた。その先生の真剣な顔に、私はもう二度と薬を面倒だと思うことはやめようと決めた。お医者さんは命を守る仕事だけど、患者自身も自分を大切にして約束を守って治療することが大切なのだと、初めて分かった。更に、私の病気を治すために、救急隊員の方や、どんな時間でも病院にいてくれるお医者さん、私のことをずっと診てくれている主治医の先生。脳波の検査の時、緊張しないように、長時間疲れないように明るく笑わせてくれる先生。たくさんの人が私のために頑張ってくれていることも分かった。今でも半年に1回ずつ、採血や脳波の検査をしている。その度に主治医の先生は、
「大丈夫だね。薬もきちんと飲んでるね。」
と励ましてくれたり、褒めてくれたりする。時々、私の勉強の悩みや、習い事の話を聞いて、
「先生の子どもはねぇ。」
なんて自分の子どもの話をしてくれたりする。病気はとても辛いけど、病気をしたことで、健康だった時には分からなかった医療の仕事の大変さと温かさが少しわかったように思う。命があることの感謝は、この体験をしなかったらこんなに深くなることもなかっただろうし、病院で動く人たちにこんなに感謝の気もちがわくこともなかっただろうと思う。忘れられない、”辛くても、なんだかあたたかなあの日”をこれからも胸に、元気いっぱい、精一杯頑張って、病院の先生と一緒に病気を治していきたいと思う。