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医師会からのお知らせ

第23回ふれあい医療作文コンクール

佳作
「私の入院生活」
小林 玲菜
駿台甲府中学校2年
私は小学校5年生と6年生のときに入院したことがある。特に病気というわけではなく、「小児喘息」だった。5年生と6年生の時、同じ時期に風邪を引いた。その時は風邪だから、2・3日すれば学校に行けると思っていたので、その夜まさか入院するとは考えてもいなかった。夜になると、だんだん食べることも寝ることもつらくなり、とにかく息をすることで精いっぱいだった。夜中、救急センターに行き、吸入で酸素を吸ったり、点滴を打ったりして、少し楽になったがまだつらかった。その時のつらさを例えると、100メートル走を全力疾走したのがずっと続いているような感じだったと思う。そして、しばらくすると看護師さんに、
「玲菜ちゃん、今日は家に帰ってもつらいと思うから、今日は入院しようね。」
と言われた。こう言われた時、私は入院なんてしたこともなかったので不安な気持ちになった。しかし、私はこの呼吸が楽になるんだ、とも思い、安心感も感じていたのを覚えている。そして、私は母と共に病院へ向かった。
5年生の時は、一晩吸入をしたらすぐに良くなったので2日で退院した。それからの1年間は風邪も引かずに元気に過ごした。しかし、1年後に去年と同じ症状でまた入院することになった。でも、2回目だったのであまり不安は感じていなかったし、2日ほどで退院できると思っていた。ところが、その時は結局1週間、入院した。2日ぐらいはまだ少しつらかったが、後の5日間は本当に暇だった。特に検査もなく、病室には同じくらいの年の子もいなかったので話すこともできなかった。でも看護師さんが様子を見に来た時に、
「学校はどこに行っているの?」
「部活は何に入っているの?」
など退屈そうにしている私にたくさん質問してくれた。それだけでも、うれしい気分になれたし、気分もまぎれた。
自分の事以外にも、私は入院生活でたくさんの看護師さんの優しさを知った。例えば、私のとなりのベッドのおばあちゃんが自分の家族のことを話していた。その時、看護師さんは笑顔で話を聞いていた。私はそれを見て、看護師さんというのは病人の事を看病するだけではなく、不安やつらい気持ちを持った患者さんの心のケアもする仕事なんだと思った。
私の主治医の先生はこの1週間を、
「今後、喘息がおこらないようにする入院」
と言っていた。今思えば、その通りだったと思う。もし、その時も2日で退院していたら、昨年も今年もまた喘息になっていたかもしれない。あの時、ゆっくり経過を見て、良い薬を見つけたから、今私は元気に生活できているのだと思う。6年生の私には学校にも行けず、一緒に話す友達にも会えなくて、つまらない入院生活だった面もあった。でも、その1週間が、今の自分にとってとても大切だったことは昨年、今年を過ごしてみてよく分かったし、実感できた。
喘息は手術をして悪い部分をとれば治るというものではない。自分で肺を丈夫にしたり、肺活量を高めたり、予防で薬を飲むことぐらいしかできない。だから、とてもつらい。この事を私は退院してからの2年間でよく分かった。私は退院してから月1回、病院で経過をみてもらいに行っていた。そして、だんだん良くなってきて、薬が1つへり、通院が月1回から2ヶ月に1回になった。そして薬がなくなり、しばらくして病院に行った。すると、先生から、
「もう良くなったから病院に来なくていいよ。」
と言われた。それは今年の夏休みに入ってからのことで、うれしかったのを覚えている。2年間の私の喘息との生活がやっと終わった。
この2年間、つらかった事や退屈だった事もあった。でもその一方で私はたくさんの優しさも見ることができた。もし2年前、喘息にならなかったら私はたくさんの優しさや医療の大切さを知らずにいたと思う。そう考えればあの入院生活はむだではなかったと思う。楽しかったというとおかしいが、たくさんの事を学ぶことができた貴重な1週間だった。それに、毎日元気に学校に行けることの楽しさも身をもって体験した。だから、これからもあの1週間で学んだ事を忘れず、健康に楽しい学校生活を送っていきたい。