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医師会からのお知らせ

第23回ふれあい医療作文コンクール

佳作
「私の命、みんなの命」
藤森 日奈子
甲陵高校1年
生きている限り、人は誰でも病気や怪我をして病院に行く。医療は無くてはならない存在であり、私たちの生活を支えているものだ。ただ、「病院に行くこと」を好む人はあまりいないだろう。私も、病院が大嫌いな一人だった。
幼い頃から病気がちで、さらに喘息を患っていた私は、病院に行くことが多かった。喘息の治療は近所の病院ではできないため、片道30分以上かけて山の中を車で走り、病院へ行った。病院に行くたびに保育園や小学校を休まなければならず、私はそれがとても憂鬱だった。発作を起こして病院に行くと、待っているのは吸入の薬と点滴だった。吸入をした後は、口の中が苦くなる。点滴をするためには注射をしなければならないし、点滴が終わるまでは2時間近くじっとしていなければならなかった。私の友達は皆元気に遊んでいるのに、どうして私ばかり嫌な思いをしなければならないのかと、幼かった私は子供ながらに悩み、辛く感じていた。
だんだんと私が成長するにつれ、喘息の発作を起こすことも減り、病院に行くことも少なくなっていった。これでやっと皆と同じように走ったり遊んだりできると思っていた。
しかし、私が中学2年生の時、再び喘息の発作が起こってしまった。今回の発作は明らかに昔とは違い、昔よりもずっと苦しかった。久しぶりに学校からそのまま病院へ行った。もちろん、私の大嫌いな吸入と点滴もした。
その後からは、走った後や日常生活の中でも頻繁に発作が起こるようになってしまった。年に一度、学校で行われるマラソン大会も、ドクターストップになった。一番辛かったのは、友達がマラソンの練習をしている様子をただ見ているだけの時だった。
「私も走らないで、ドクターストップがよかったなぁ。」
友達は悪気もなく、皆を笑わせるために言っただけだった。私はその一言に笑って返したが、内心はとても傷つき、悲しかった。
しばらくの間通院していた私は、ある日主治医の小児科の先生の前で泣き出してしまった。何の罪もない先生に向かって、責めるように私の思いを全てぶつけた。先生は私の話に口を挟むことなく静かに聞き、私が話終えるとこう言った。
「私も頑張るから、一緒に頑張ろう。」
先生の優しい言葉に涙が止まらなかった。一人でないなら乗り越えられるかもしれないと、私は初めて前向きな思いを持った。
その後も私の通院は続いた。私が行くたびに、先生や看護師さんが声をかけてくれた。私は病気だけでなく、心も治っていくような感じがしていた。先生との治療を頑張った結果、頻繁に起こっていた発作はなくなった。高校生になった私は、お世話になった小児科の病院に行くことはなくなったが、先生や看護師さんに対する感謝の気持ちは、今も心の中に残っている。
この経験を通して、私は改めて一人で生きているのではないことを実感した。家族や友達、学校、そしてお医者さんや看護師さん。多くの命に支えられて存在している私の命を、これからも精一杯生きていこうと思う。そして、あの時私を励ましてくれた先生のように、私も誰かに寄り添い支えられる人になりたいと思う。