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医師会からのお知らせ

第23回ふれあい医療作文コンクール

山梨県医師会長賞

「心のケア」
渡辺 彩加
吉田中学校2年
今年のゴールデンウィーク明けの授業中、静かな教室に一本の電話が、鳴った。なぜだか胸さわぎがした。その電話は、私の母方の祖父が倒れて危篤になったので、私にすぐに病院に来るようにとの電話だった。血の気が引いた。血の気が引くってこんな感じなんだと、生まれて初めて知った気がした。先生や友達が心配してくれたから冷静を装った。だけど足はガタガタ震えていた。
弟と一緒に病院へ行った。何も聞かなくても母の顔を見て、祖父の状態が良くないことはわかった。祖父は病院のHCU(高度治療室)のベッドに寝ていた。管や機械をたくさんつけていた。脳出血をしていて意識がないそうだ。一度心肺停止したが、蘇生してもらって心臓が動きだしたそうだ。心臓は動いても、もう二度と目を覚ますことはないことを聞いて、がく然とした。涙が止まらなくなった。昨日まであんなに元気にしていたのに。どうして?答えてくれない祖父に懸命に話しかけた。いつもだったらニコニコして私の話を聞いてくれるのに、今は呼吸をするのも苦しそうだ。祖父は予断を許さない状態だった。次に呼吸が止まれば死んでしまう。考えたくもなかった。
「おじいちゃん、死なないで!」
そう祈るしかなかった。
ある日、お見舞いに行くと看護師さんが祖父の伸びたヒゲを、祖父に優しく話しかけながら、剃ってくれていた。
「おじいちゃん、聞こえているんだよ。だからたくさん話しかけてあげてね。」
と私に促してくれた。一緒にいた母はとても嬉しそうだった。意識のない祖父に対しても他の入院患者さんと変わらずに、ケアをしてくれている。看護師さんにとっては、当たり前のことかもしれないが、今の私たち家族にはそんな些細なことが希望の光に感じられる。毎日泣いてばかりの母の笑顔を久し振りに見た。私も人の温かさを実感した日になった。
5月には珍しく台風が到来した。最期まで必死に闘い懸命に生き抜いた祖父は、その台風と一緒に天国へと旅立った。71歳だった。倒れてから1週間目の朝だった。一度は心肺停止をしたが蘇生して、私に祖父を会わせてくれた医師。私たち家族の心のケアまでしてくれた看護師。たくさんの方に献身的に処置や看護をしてくださったおかげで、祖父も私たち家族も現実を受け入れることができた。
初めて起きた身内の死。こんなに突然に死と向き合うことになり、正直動揺したが、一番心配だったのは母のことだった。祖父の葬儀の後も多忙な日々が続いたので、体のことも心配だった。私は今回のことで、いろんなことを感じた。人は一人では生きてはいけないこと。心のケアが人を強くすること。私は将来心理カウンセラーになりたいという気持ちが芽生えました。どうしようもない現実でも気持ちが少し上を向くだけで、視野が広がり前向きに考えられるようになる。悲しくてどうしようもない母が、今こうして前と変わらずにいられるのは、心のケアをしっかりしてもらえたからだと思う。これから先の高齢化社会には、必要な仕事だ。まず私自身がしっかりと学習し、まずは母の気持ちに寄り添いたい。そして将来、心のケアを必要とする人のために力になりたい。祖父の死を決して無駄にしない。大好きな祖父に天国から応援してもらえるように、誇れる人間になりたい。