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医師会からのお知らせ

第22回ふれあい医療作文コンクール

佳作
「優しい医療」
大竹 秋奈
北杜高校2年
医療は、優しくなければ、医療ではないと思う。医療と言っても様々なものがあるが、どれにも共通しているのは、「患者さんと向き合わなければならない」ということだ。人と接する上で重要なのは、やはり優しさではないだろうか。医療に携わる医師や看護師は、患者さんからの信頼の下、命を預かっているのだから。計らずも、人の死に触れてしまうのは、避け難いことなのかもしれない。しかし、その中で、どれだけ患者さんの心に寄り添えるかが大切だと思う。
私は、幼い頃から体が弱く、病気がちだった。持病の喘息があることもあり、風邪をひくと、喘息も悪化し、入院することもしばしばあった。その度に、「またか、またか」と言わせるように、入院手続きや学校への連絡など、数多くやらなければならない事ができ、母には苦労をかけてしまった。あの頃の幼い自分にも、母に対する、感謝の気持ちや申し訳ないという気持ちは、確かに存在していた。
しかし、私は、病気が嫌いではない。好きと言ったら変に感じるかもしれないが、嫌いでないことは確実だ。確かに、病院や入院で辛い経験をしたこともある。例えば、長い時間の点滴・検査の関係上おかゆしか食べられないこと・外で遊びたくても遊べないこと、など辛いこともあった。しかし、それでも病院が嫌いになれない理由は、良い医師や看護師が周りにいつもいてくれるからだ。行き付けの病院には、常に自分を診てくれる先生がいる、自分のことを何から何まで分かってくれている先生がいる、と思うと、本当に安心できた。幼い頃からの付き合いということもあって、私には、心から信頼できる医師がいる。しかしながら、私はもう小児ではない。そのため、小児科でその医師に診てもらえることはなくなってしまった。それでも、今も感謝の気持ちは変わらない。これからまた、信頼できる医師に出会いたいと心から思う。
私は、以前ある看護師さんに、「また来てね。」と言われたことがある。やはり喘息で入院していたときのことである。担当の先生に、退院許可をもらい、その看護師さんにお礼を行ったときだった。私は、この言葉に驚いた。しかし、それと同時に、嬉しさもあった。その看護師さんにはとてもお世話になり、信頼していたからだ。もう会えない、優しさを感じることができない、と一人で寂しく感じていたため、看護師さんも同じ気持ちであったことに嬉しさを感じた。私が入院している間、いつも笑顔で優しく看護してくれた。その時初めて、「退院なんてしたくない」そう思ったのだ。それだけ、喘息で苦しい思いをしている私に尽くしてくれた。そして、「また来てね。」と言われた私は、「はい。また来ます。」と明るく返事をした。決して変な意味ではなく、素直に、この人に会いに来たいと思ったからだった。
今となっては、少しずつ体力も付き、あまり喘息発作も起きなくなった。とは言っても、やはり、私にとって病院は、なくてはならないものである。もちろん、病気を治すためでもあるが、あたたかい人がたくさんいるからこその、癒しの場でもあるからだ。そんな場所を作ってくれている人たちに感謝したい。そして、いつか私もそんな存在になりたい。「ありがとう」と言ってもらえるような、人々の心の支えになれるような、そんな優しい人間になりたい。
誰もが、あなたらしく生きられるように。もし、病気になっても、乗り越えられるように。手が使えなくなっても、歩けなくなっても、話すことができなくなっても、誰かのために、命のために尽くしてくれる医師や看護師が、日本中、そして世界中にあってほしい。そして、私たちが大人になったとき、今の時代よりも、「優しい医療になった、これからも命を大切に思う人が増えるといいね。」と誰もが思えるような、そんな世の中になって欲しいと願っている。