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医師会からのお知らせ

第22回ふれあい医療作文コンクール

佳作
「健康は最大の幸せ」
菊島 二千男
73歳
冠動脈のバイパス手術から14年経過し、主治医は退院時10年間は保証すると言ってくれましたが、その保証期間も4年過ぎ、平成24年あの猛暑中加齢か体力の衰えか体中水が溜まり浮腫多臓器不全となり半年間緊急入院を余儀なくしました。
ICUで主治医とナースの監視下24時間の点滴が何週間も続き、主治医は当初若し不整脈が起きれば危険な状態になると既に妻子には伝えたようでした。
ICUで何日間通したかは定かな記憶はなく、辛くて悶え苦しみ想像を絶する状態だったと妻から聞かされました。
24時間の点滴で起き上がることも出来ず、排出物の処理から洗面、歯磨き、髪の毛・手足の洗い、爪切りまで全てナースの手を借りての生活でしたが、ナースは唯一人として排出物の処理をするにも嫌な顔一つもせずやって戴きその折々感謝に堪えずナースの後姿が天使に見えました。
三食完全断食で喉が乾き水分を要求するにも体力と気力も衰え言葉は出ず、文字盤を使い漸く意思表示は出来たものの水分制限などで口元を濡らす程度で水は諦めるほかありませんでした。
長い間のベッド生活、体が在り苦しくなり少しでも体を動かすと点滴の管が体の重みで曲がり点滴の流れが止まってしまい、ナースセンターのモニターのサインでナースはどんな真夜中でも走り寄って管を直し再び流れるようにしてくれました。御免なさいと自然に心の中で呟きました。
ICUから個室へ移りホットし、徐々に回復もし点滴をしながら午前と午後の2回リハビリが始まり、午前中は手足の機能回復の訓練、軽く手足を動かし車椅子から降りて5メートル程の平行棒を使い両手を添え一歩一歩、3・4回休みつつ1日3往復する程度でした。午後からは切り絵などの小道具を使い、脳や指先の回復訓練で幼児が遊ぶ道具などを使うもので情けなく妻子には見せられない位でした。病室からリハビリ室まで理学療法士による車椅子での送り迎えでした。しかし、なんとかこの究極の現状を抜けなければと歯を食い縛り理学療法士の温かい思いやりのご指導のもと、日一日一歩ずつクリア出来るようになり、センター内を杖を使ってですが半回りずつ歩く事も出来るようになりました。
週1回の入浴も三人のスタッフが付き、寝たままの状態で頭から足の先まで汗びっしょりになりながら、その汗を拭こうともせずに丁寧に洗って戴きました。
既に古稀は過ぎ、その上足が小児マヒのためそんなに安易に回復するとは全く自信はなく奇跡を信ずるほかなく、理学療法士に車椅子も考えていた方が良いとも言われつつの訓練でした。
人生運が悪いときは、重なります。この間自分の足となっていた運転免許証も失効し、愛車も廃車しなければなりませんでした。
苦労して取得した運転免許証だけに残念で仕方ありませんでした。
運転免許証の更新期間延長の措置のある事も承知はしていましたが、その気力と体力がなくなっておりました。
苦闘するなか、半年近くになり、多臓器不全も主治医、ナースのご尽力により日毎に回復し、またリハビリもなんとか杖は使いますが歩行できるようになり、いよいよ退院の許可もおり、本来ならば長い間の闘病生活での退院ですので赤飯を炊き万歳三唱で喜びたいところですが、果たして帰宅後の生活が出来るのか不安は募るばかりでした。
退院後まず廊下に手摺を取付け、歩行訓練です。その後、毎日1日2回妻の肩を借りながら5メートル10メートルと外を歩く訓練を重ねました。この当時、闘病生活に触れるのも嫌で恐ろしかったです。
おおよそ1年を経過した後、唯一の趣味の川柳も一句ずつ作句でき、新聞への投句の葉書も最初は妻にポストへ投函してもらっていましたが、徐々に自分で時間は掛かりますが杖を使いポストへ投函できるようになり、川柳の短冊や文房具なども自分の足で買物も出来、元気になった様子などもコラムに書き新聞への投稿も出来ました。
買物途中の道々で出会った人々との触れ合いも今迄と違う小さな幸せを味わい、また川柳の吟友の皆様方との交流も更に深くなり一段と違った喜びと幸せを実感しました。
健康に勝る幸せはなく、その最大の幸せが生涯末長く続くよう来る日も来る日も白い壁と天井を見詰めていたあの苦しく辛かった闘病生活を思い浮かべ自分を戒め、主治医、ナース、理学療法士、入浴を優しく介助してくれた介護士、三度三度の食事を心込めて配膳してくれた方々と長い間心配を掛けた妻、二人の娘夫婦、孫への感謝を忘れることなく暮らしていきたいとつくづく思う昨今です。