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医師会からのお知らせ

第22回ふれあい医療作文コンクール

優秀賞
「私を支えた数分の出会い」
長田 ジョセフィン
41歳
今年の春、癌が見つかりました。病気知らずの私に、突然襲いかかった厳しい試練でした。手術をし、その後、放射線治療をすることになりました。手術には入院が必要でしたが、放射線治療は外来の通院で出来ると、主治医から説明がありました。放射線を照射する時間は、ほんの数分、痛くもかゆくもないとのことだったので安心していました。副作用の話も聞きましたが、手術の痛みに比べれば、それ以上の痛みなどないだろうと軽く考えていました。放射線治療は全部で30回。月曜から金曜までの週5日、連続して行わないといけませんでした。まるで会社勤めのような病院通いが始まりましたが、多くの方が外来の通院で治療されていたので、私にも出来るだろうと思っていました。
治療が始まって10回くらいまでは、本当に効果があるのか?と疑いたくなるくらいに、体には何も変化がありませんでした。しかし、10回を過ぎたあたりから副作用が出てきました。私は頚部のあたりに照射していたため、首や頬や耳の部分の肌の色がやけどのような状態になりました。放射線は頬を貫通して、口の中まで届き、口内炎や粘膜のただれに悩まされました。耳の周囲や襟足の髪の毛も抜けていきました。心身ともにとても辛い状況でしたが、多くの方が外来で通院しているので、私も弱音は吐けないと思いました。しかし、13回目の照射を終えて、食事も水も喉を通らず、痛みで寝ることも出来ず、車の運転も出来なくなりました。外来での通院に限界が来て、主治医に「入院させて下さい」とお願いし、入院することになりました。
外来で出来る放射線治療を入院してやることは、私のわがままではないか、私が弱い人間だからか、私が甘えてるのではないかと、ずっと自分を責めていました。後ろめたさがあり、入院中はほとんど誰とも会話することはありませんでした。
そんな辛い状況を一変する出来事がありました。ある日の処置をしに来た看護師さんとの出会いです。3週間ほど入院していて、その看護師さんの顔を見るのは初めてだったので、私は「この病棟の担当ですか?」と尋ねました。すると彼女は「いえ普段は外来で抗がん剤をされている癌患者の方々の病棟の担当です。今日はこちらの病棟のお手伝いに来ました」と笑顔で応えてくれました。私はその笑顔で、固まっていた心の氷が溶け、話をしたくなりました。「私も実は癌なんです。今、放射線治療をしています」と言うと「抗がん剤も大変ですけど、放射線治療も大変ですね」と言ってくれましたが「でも本当は外来で出来るのに、私は入院してしまったんです。私のわがままで弱い人間だからだと思います」と、今まで誰にも打ち明けられなかった気持ちを、彼女には吐き出してしまいました。すると彼女はまた優しい笑顔で「弱い人間なんかではないですよ。放射線治療は本当に辛いです。まして頚部に照射している人は口の中がただれて、ご飯も満足に食べられませんよね。外来で治療をしていて、痛みに耐えられず治療を中断してしまう人や、途中で断念してしまう人もたくさんいます。長田さんはあきらめずに入院してでも治療を続けようと思えたのですから、とても強い人ですよ。それは立派なことです。女性は限界まで我慢してしまうんですよね。よく頑張って通院していましたね。だからもう自分を責めないで下さい。安心して治療をして下さい。そして最後まで乗り切って下さいね」と話してくれました。私は彼女の言葉を聞いて、我慢していた涙がこぼれ、思わず泣いてしまいました。この日を境に私は今まで後ろめたかった気持ちを捨て、前向きに治療に励もうと思いました。そして他の看護師さんたちとも、積極的に会話をして、自分の悩みや気持ちを隠さないようにしました。そのおかげで、最後まで放射線治療を乗り切ることが出来ました。
入院中、彼女と関わったのは、後にも先にもあの日だけで、ほんの数分のことでした。この数分の会話で、私はどれほど助けられたか、支えられたか、勇気づけられたか分かりません。もし彼女との出会いがなかったら、この入院を私は一生負い目を感じていたことでしょう。医学は日々進歩していますが、薬や手術以上に、病気を治す根源とは、思いやりや優しさ、勇気づけられる言葉や気持ち、そして笑顔ではないかと思います。
癌になったことは、とても辛いことです。未だに副作用もあり、通院もしています。この先、再発の恐れもあり油断できません。しかし、どんな困難にぶつかっても、彼女からもらった思いやりや優しさ、そして勇気を思い出して、病気と前向きに闘っていこうと思っています。