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医師会からのお知らせ

第22回ふれあい医療作文コンクール

山日YBS賞
「スーパーマンとの出会い」
貴家 美羽
富士北稜高校3年
私には、幼い頃からスーパーマンが側に居る。そのスーパーマンが居なければ、私の命は今、ここに存在していなかっただろう。
私は、生後1週間ほど経ってから高熱を出すようになり、入退院を繰り返していた。病名は、小児喘息だ。その時の私は、友達がいない退屈な入院生活を送り、毎日いつ起きるか分からない発作の苦しさと辛さにおびえていて、治療の時間を含め、全てが嫌だった。
いつの間にか心を閉ざし、笑わなくなり、とても暗い女の子になってしまっていた。そんな時、毎日毎日何度も話しかけてくれていたのがスーパーマンの看護師さんだった。これがスーパーマンとの出会いだ。最初の頃は、バイタルを測る時に話をするだけだった。しかし、再入院になり今までよりも入院生活が長くなった時、突然看護師さんにギュっと抱き締められた。その時、自分の中にあった思いがあふれ出し、赤ちゃんのように泣いた。家に帰りたいという気持ち、保育園に行って走り回りたい気持ち、幼いながらに、どうして自分ばかりこんな辛い思いをしなくてはいけないのか。病気はいつになったら治るのか。もしかしたら、治らないのかもしれないという不安な気持ちを全て看護師さんに打ち明けた。すると、「私が美羽ちゃんの友達になる。それに、病気はすぐに治る。美羽ちゃんが暗い気持ちだと病気は美羽ちゃんのことが心配で離れていってくれないよ。笑顔で病気にさよならが言えるように毎日笑顔を忘れずにね」と当時4歳の私に分かるように説明してくれた。それから私は、喘息の治療も積極的に行い、看護師さんの提案で肺活量を鍛え、少しでも発作を起きにくくする体作りを始めた。また、毎日笑顔でいることを忘れなかった。体調は良くなり、それが最後の入院生活だった。これがスーパーマンとの思い出だ。
このことがきっかけで私は、看護師になりたいと思った。もちろん、私を救ってくれたスーパーマンのようにー。人として患者さんに寄り添い、慈しむ心を自然と出すことが出来、信頼と親しみがある看護師になりたい。
私が看護師になりたいと思った時、看護師は、バイタルを測ったり、ただ看護をするだけが仕事なのではなく、患者の思いや気持ちを感じとり、メンタルケアも行っていくのだと思った。入院している人、通院している人は何らかの病気やケガを患って病院に来ている。決して楽しい気持ちで来ているわけではない。逆に辛い治療や辛い判断、決断をしているのかもしれない。そんな患者さんに寄り添うのは看護師さんだ。話をしながら、あるいは身体をさすりながら、少しでもその気持ちを取り除いて患者さんが前向きに治療を受けようという気持ちになるようにしている。現に私もその一人だった。看護師には、技術や知識も必要であり、それも大事だが、患者さんへの心配り、気配りを自然にして、患者さんのことを第一に考え、家族と同じように接することが一番大事なことだと思う。
今の私が想像している看護師の仕事と実際の現場の看護師は少し違ってくるだろう。命を預かっている仕事だからどの職業よりも過酷だと思う。しかし、スーパーマンのようになりたいと思った日のこと、私の命はスーパーマンに助けてもらったのだということ、これから笑顔を絶やさず、私も多くの患者さんのスーパーマンになれる日を目標に持ち、頑張っていきたい。