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医師会からのお知らせ

第22回ふれあい医療作文コンクール

山梨県医師会長賞

「病気が教えてくれたこと」
小林 世奈
勝山中学校3年
強くならなきゃ。強くならなきゃダメなんだ。そう、もっともっと強くなりたい。
今から4年前、私が小学校5年生になる春、満開に咲き誇る桜の前に私は立っていた。
「体が曲がっているよ。真っ直ぐ立って。」
カメラを構えてこちらを見ている母の言葉が理解できない。母の所へ走り寄り、撮ったばかりの写真を覗き込んだ。(えっ。)笑顔で写真に写った私の体は曲がっていた。
その夜、お風呂に入る時、母と一緒に鏡に写る自分の体を見ていた。あの時の衝撃は忘れられない。じっくりと自分の体を見る。腰のくびれ、太股の付け根が左右で異なっていた。鏡の中の自分の体は、見れば見る程随分曲がっているように見えてきて、(重い病気かも、治らなかったら。)と心臓の鼓動が早まるのを感じた。心臓の鼓動をこんなにも感じているのに、生きている気がしなかった。心配でたまらなかった。正直、すごく怖かった。
病名は、「思春期特発性脊椎側弯症」原因は不明。症状は、背骨がねじれながら曲がっていってしまい、重症になると内臓が圧迫されるそうだ。その進行を防ぐための矯正装具を着ける必要があること、また進行がひどい場合、手術が必要になることも先生が説明してくれた。心臓が大きく脈を打った。
私は骨の成長が止まるまで装具を着けることになった。初めて私の体に合わせて作った装具の試着の日。私の想像をはるかに超えた厳しい現実が待っていた。装具は、骨盤や肋骨を容赦なく圧迫し、痛みのあまり思うように歩けず、涙が溢れてきた。ギクシャクした動きはまるでロボット。(今までの生活が送れなくなる。)一瞬にして私の心は不安で埋め尽くされた。色々なことが脳裏に浮かび、私は涙をこらえるのに必死だった。
その後、母と私は担任の先生、養護教諭の先生に、お話をする機会を設けていただき、病気の説明、それに伴う色々な手助けのお願いをした。おかしな動きはからかわれることがあるかもしれない。私は自分の決意を伝えた。
「私は強く生きる。何があっても頑張る。」
言葉に出して伝えておかないと、くじけてしまいそうだったからだ。
そして私は、クラスの皆に自分の症状について知っておいてもらおうと手紙を書いた。しかし、周りの反応を考えてしまうと自分で読む勇気がなく、手紙は私のいない所で担任の先生に読んでもらった。先生、クラスの数人が涙を流してくれたらしい。
そして始まった装具生活。つらかった。装具を着けると胸元から骨盤までしっかりと固定されるため、かがめない。上履きは紐をゆるめ、容易に履けるようにした。下に落とした消しゴムは友達に拾ってもらうしかなかった。体育座りもできなかった。とにかく不便だった。今まで当たり前にしていたことができず、毎日不満が募っていった。そしてそのイライラをいつも母にぶつけていた。そんな自分に嫌気がさし、何度も何度も涙を流し、胸がはち切れそうだった。でも、クラスの皆は私を特別扱いせずに普段通りに接してくれた。困っている時は必ず助けてくれた。
そんな中、特にお世話になったのは養護教諭の先生だ。当時私は一人で装具を着けられず、手伝ってもらっていた。私を理解しようと先生はひたすら、側弯症について勉強してくれた。装具のつらさや不便さについても自分のことのように考えてくれ、私はとても嬉しかったし、何よりも安心できた。夏の装具は暑くてたまらなかった。着用時間はいつの間にか短くなってしまい、先生は私を心配して汗拭きタオルを用意してくれた。いつでも私を励まし、小学校卒業まで支えてくれた。
私は中学生になり、装具を作り変えた。体が成長し、窮屈になったからだ。
そして装具生活を始めて丸3年半。身長の伸びが止まり、症状の進行もあまりないことから、病院の先生が、装具を外して様子をみる提案をしてくれた。装具を着けることには慣れ、苦痛なわけではないが、外せると思うと嬉しくて、胸が高鳴った。
そして現在。私は中学3年生。装具を外した生活が続いている。たまに姿勢を注意され不安になるが、4年前の私とは違う。自分自身に成長を感じられた。
私はこの病気を通し学んだことがある。まず、当たり前のことができる喜びだ。失って初めてたくさんの困難とぶつかり、気づけた大切なことだ。次に、言葉がなくても人の優しさ、温もりは十分伝わるということ。私はそれらをたくさん感じながら、頑張ることができた。最後に、強さだけではいけないということ。強いということだけでは、私一人で病気と闘うことはできなかった。たくさんの人と出会い、つながり、助けてもらいながら私は自分の病気と向き合うことができたのだ。
これらの学んだことを生かしていきたい。病気が私に教えてくれたたくさんのことを。