HOME > 医師会からのお知らせ > ふれあい医療体験記 > 第21回ふれあい医療作文コンクール > 優秀賞
医師会からのお知らせ

第21回ふれあい医療作文コンクール

優秀賞
「命にありがとう」
石原 美奈
甲府西高校2年
今、あなたは生きていることに喜びを感じているだろうか。そして、命の尊さや儚さを忘れていないだろうか。
私の叔父は、四十歳を目の前にこの世を去った。原因は、肝硬変の進行で併発した食道静脈瘤の破裂だった。当時、小学生だった私は、亡くなるその日まで叔父の抱えていた病気を知らされなかった。叔父と最後に話をしたのは、亡くなる数日前のことであった。おそらく、話をする時でさえ、病気の痛みでつらかったに違いない。しかし、いつもと変わらない様子を最後の最後まで叔父の異変に気付くことができなかった。数日経ち、叔父はまるで眠っているかのような安らかな表情でかえらぬ人となってしまった。「夢でありますように。」心の中で何度も願ったが、現実であった。
叔父が亡くなってからまもない頃は、なによりも叔父の病気に気付くことができなかった悔しさばかりが募った。もし、気付いていたならば何かしてあげることができたかもしれない。せめて、一言「ありがとう」と伝えたかった。そう思わずにいられなかったのである。
そして、その頃から私は医療に興味を持つようになった。叔父の死を通して、病気で苦しむ人を近くで支え、命を救えるようになりたいと考えたのだ。そんな思いから今年、私は山梨県看護協会主催の「高校生一日看護師体験」に参加した。体験の中で、最も印象に残っていることは、入院中の患者さんのリハビリに立ち会ったことだ。しっかりと立ち、両手を高くあげる。私たち、健康な人からすると、当たり前にできることであっても患者さんからすると、決して簡単なことではない。一回両手をあげるだけでも体力を使うのである。その患者さんはとてもつらそうだった。しかし、どんなに足が震えてもどんなに痛くても、どんなに息がきれても、決してリハビリを投げ出さなかった。一回、また一回と何度も両手を力強くあげていた。この患者さんは「元の生活に戻りたい」その思いを胸に、たとえどんなことがあってもリハビリに耐えていたのではないだろうか。「生きる」ためにつらい治療にも前向きに取り組んでいたにちがいない。
このことは、どの患者さんにも同じように言えると思う。医療の現場では、皆が「生きる」ことだけをひたすら考えているのである。また、患者さんを支えるために医師をはじめ、看護師、薬剤師、理学療法士、作業療法士など多くのスタッフで協力し、チームでやっているのが医療なのだと実感した。短いように思われ、長くもある一日の体験の中でも、様々な事を学び、成長することができたと思う。体験を終えて、病院のナース服を脱ぐと、不思議と肩が軽くなったように感じた。それだけ、医療スタッフの人々は重い責任があるのだと思う。現場の緊張感と責任感は数ヶ月経過した今でも昨日のことのように思い出される。
このように、私は様々な医療に関する経験を通じて、今ここにいる。六年前の悔しさは、現在となっては、前向きに頑張っていく源、また命に向き合うきっかけとなりつつあると思う。医療技術は年々進歩してきている。ただし、医療技術がいくら向上したとしても、一番大切なことは、患者さんと医療スタッフ全員の絆であると思う。信頼しあうことの出来る関係がなければならないのだ。
今、あなたは生きていることに喜びを感じているだろうか。そして、命の尊さや儚さを忘れてはいないだろうか。この問いかけに、私は自信を持って、はいと答えたい。日常生活の中で生きていることを当たり前だと勘違いしてはならない。私たちがこうして生きていることは決して当たり前ではなく、むしろ奇跡であると思う。また、健康であればあるほど命の尊さや儚さを忘れがちになってしまうことが多い。だが、命は一人に一つしかないことは確かであり、誰もが大切にしなければならないのが事実だ。だからこそ、私たちは一日一日と懸命に生きていくのである。生きたくても、生きられなかった人のためにも。
最後に、私の祖父は脳梗塞を患い、今もなお後遺症が残っている。年齢を重ねていくごとに、後遺症が与える生活への支障は増してきている。そこで、私に何ができるのだろう。身のまわりの介助もだが、リハビリの手伝いも少しできるのではないかと思う。一日看護師体験で学んだこと、叔父の死を通して感じたことや、悔しさを実際の日常で、様々な場面において生かしていけたらいいと思った。医療は、人の命に関わる責任が大変重い場である。だが、その分、多くの人と命について考えられる素晴らしい場でもある。これから先も、何らかの形で医療とかかわっていきたい。そして、命に感謝し、今この瞬間を誰よりも精一杯に生きていこうと思う。叔父の分も。命にありがとう。